185mlと350mlの缶ドリンクが同じ値段ってことに
何の違和感も感じなくなった時、
僕は大人になったんだ。
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眠れぬ夜は妄想にふけるものだ
 昨日の夜、なかなか寝付けなくて

 たけのこの里できのこの山が
 ホワイトロリータな
 パイの実とカラムーチョ。
 チュッパチャップス!チュッパチャップス!!
 アー、モンド!アー、モンド!!
 おぅっ!ハッピーターン!!

なんてことを考えていた。
頭おかしいな……お菓子だけに。
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がんばるお父さん
何となく本屋に立ち寄ってみた時に見かけた光景。
(ちなみに、この時 と同じ本屋)

ルーキーズ_勝木
※拡大推奨

この光景を見た僕が抱いた感情を一言で言うなら、そう、感動。
感動、それ以外に表現しようがありません。
僕は流れ出る涙を止めることができませんでした。

だってそうでしょう。
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ある晴れた昼下がり
今日の福井は天気が良いんですよ。
ちょっとポカポカな感じすらするくらい。
でもまぁ、寒いんですけどね。

何か、こういう日はドナドナを歌いたくなりますよね。

 ある晴れた昼下がり 市場へ続く道
 荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せて行く

そうやって、歌いながら歩いてたんですけど、ふと思ったんですよね。
この時、荷馬車の馬はどんな気持ちだったんだろうな、って。

色々考えましたけど、結局、答えは馬のみぞ知る。
そんなところでしょうかね。

あと、僕のPCは、『こうし』で変換すると、まず『孔子』が出てきまして。
孔子が売られちゃうってシュールだなぁ、って思いました。
何か良いですね、ある晴れた昼下がりって。
失ったもの
人間とは、忘れていく生き物ですね。
大人になるにつれて、つくづくそう感じます。
楽しかった思い出も、悲しかった思い出も、
色んな思い出がモザイクがかっていくような。
思い出の中の僕は、忘れるなんて思ってもいなかったでしょう。
でも、現実、今の僕は忘れてしまっているんです。
ただ、楽しかっただの、悲しかっただの、
その時の漠然とした感情は覚えているんですよね。
だから、質が悪い。そう思うんです。
全てを忘れてしまっているなら、それはそれで問題ないはず。
だって、思い出があるという記憶すらないなら、
思い出したいと考えることもないわけですから。
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大きなお世話
腹が減って死にそうだって思いながら道に倒れてたんですよ。
そしたら、アンパンマンがやって来て、「僕の頭を食べなよ」って言ってきました。
なので「つぶ?こし?うぐいす?」って聞いたんです。
そしたら「つぶあんだよ」って超笑顔で言うので、
「つぶあんならいらない」って言っときました。
みんながみんな、喜ぶと思ったら大間違いですよね。
つぶあん入ってるくせにヒーロー面すんなよ、って感じですよ、全く。

あんぱんダイエット―84kgダイエットに成功した著者が明かす (AC mook)/さかもと 聖朋

 


雪、破壊、公園にて。
福井に雪が降った。
前回降ったのが昨年末の30日くらいだったように記憶しているから20日ぶりくらいか。
とは言え、日中のこの快晴を見るに、この少し積もった雪も、すぐに無くなりそうだ。

時折、福井のことを「雪国」と表現するような場面に出会すことがあるが、
おそらく今の福井に「雪国」という表現は似つかわしくない。
記憶を辿ってみると、僕の小学生時代などは、確かに福井でももっと雪が積もっていた。
「雪国」という表現もギリで許可されるくらいには積もっていたように思う。
屋根の上から隣の家の駐車場にソリでヒャッホイと飛び降りても、ケガをする心配などなかった。
心配と言えば、飛び降りた先の家主に怒られないか、ということくらいだった。
まぁ、その心配も、ソリ遊びに気付いた家主が「俺もまぜろ」と言った時点で無くなったわけだけど。

あの頃は良かった、という感傷に浸るのは好きじゃないし、
ましてや、雪が降らないのは地球がどうのこうのでこーなってあーなって、
とかいう意味も無いグローバル視点に立つのは吐き気が出るくらい嫌いだけど、
それでも、雪遊びが楽しかったという記憶だけは僕の頭と心に残っている。
だからだろうか。
大人になった今でも、雪が降ると、ちょっとワクワクしてしまう。
雪が積もれば、雪かきという肉体酷使のボランティアが待っているし、
車の運転も普段の5倍くらいの気を使わなければいけないわけだけど、
それでも、ちょっとワクワクしてしまう。
あの時、「俺もまぜろ」と言った家主の気持ちが、今は分かる気がする。

特に、年末に雪が積もると、ワクワクは最高潮に達する。
それは、近所で新年カウントダウンイベントが行なわれるからだ。

大晦日、22時頃になると、やわら住人が公園に集まってきて、
誰から指示されるわけでもなく、せっせと雪だるまを作り出す。
暗黙の了解なのだろうか、雪だるまの数は一人一だるまとなっている。
サイズは大小様々で、20cm程度のものもあれば、5mを超えるものもあるが、
概ね、自分の背丈より少し低いものを作る人が多い。
実際、僕も、自分の目線くらいの雪だるまを作ってきた。

23時半になると、雪だるま作りの時間は終了となる。
これも誰から指示があるわけでもないのだが、決まって全員が23時半に雪だるま作りを終えるのだ。
不思議なもので、引っ越してきて初めて参加する人たちでも、この時間は守っている。
子供の頃、このことを疑問に思った僕が父親に質問したところ、
 「DNAだろうな」
と答えてくれたのを、今でも鮮明に覚えている。
DNAは偉大だ。

全員が雪だるま作りの手を止めると、区長が雪だるまの数を数え出す。
このイベントは強制参加では無いので、年によって雪だるまの数は違う。
 「今年は212だるまです」
念入りに雪だるまの数を数えた区長がその数を発表する。
次は副区長が計算をする番だ。
 「え〜、212だるまですから3分32秒ですね。
  ですから、23時56分29秒からカウントダウンスタートとなります。
  みなさん、それまで暫くお待ち下さい。
  あと、来年の年男・年女のみなさんは準備がございますので、こちらへお集りください」

副区長に促され、年男・年女の住人はブランコの前に集合するのだが、
他の住人は特にすることもないので、紅白はどっちが勝っただろうね、等という談笑をしている。
この談笑を聞いていると、今年も平和だったな、と思えるのだが、
時折、意見が対立して喧嘩が始まってしまうから厄介でもある。
今まで見た中では、20年前の山本さんと田口さんの喧嘩が凄まじかった。
山本さんは根っからの紅組派で、田口さんは根っからの白組派というのは、承知の事実だろう。
その年ももちろん、山本さんは紅組が勝つと言い、田口さんは白組が勝つと言った。
最初に手を出したのは田口さんだったと思う。
元プロボクサーである田口さんの左ジャブが山本さんの右耳を擦った。
これに激怒した元グリーンベレーの山本さん。
ポケットからベレー帽を取り出すと
 「かぶるぜ、ベレー帽」
と言い、ベレー帽をかぶった。

睨み合いの時間が続く。互いに間合いに入らせない攻防。漂う緊張感。
周りを囲む僕たちはその息の詰まるような緊張感に飲まれていた。
一瞬でも気を抜くと小便をちびってしまいそうな程の緊張感を僕が感じたのは、後にも先にもあの時だけだ。

 「参った。俺の負けだ」

喧嘩は田口さんのその言葉によって終了した。
最初の田口さんの左ジャブ以降、ピクリとも動かなかった二人だったが、
その静止した時の中で、とてつもない戦いが繰り広げられていたのだ。
そして、勝てないことを悟った田口さんは潔く負けを認め、その言葉を口にしたのだ。
その言葉を聞いた山本さんは握手を求めて手を差し出し
 「俺の人生で最も過酷な戦いだった」
と言った。
これほど「名勝負」が似合うバウトもないだろう。

紅白の結果くらいで何故喧嘩するのか、と思う人もいるのかもしれない。
しかし、よく考えてみて欲しい。紅白自体が「合戦」を名乗っていることを。
つまり、そういうことだ。

閑話休題。
副区長が発表した時間が近くなると、ブランコの前からふんどしとさらしという格好で年男・年女たちが戻ってくる。
そしてここから、イベントはクライマックスを向かえる。

年男・年女たちは、カウントダウンの掛け声とともに雪だるまを破壊していく。
破壊するのは雪だるまの頭。基本的に回し蹴りで。
一秒毎に破壊される雪だるま。一秒毎に飛ぶバケツ。
そして、最後の一だるまが破壊された時、
 「ハッピーニューイヤー!!」
どこからともなく、誰からともなく、新年の挨拶が聞こえてくる。
こうして、僕の住む街は新年を迎えるのだ。

しかし、雪が降らないとこのイベントは開催されない。
それもそうだ。雪が無ければ雪だるまが作れない。
だから僕は、せめて年末だけでも、大晦日だけでも、雪が積もっていて欲しいと思う。
今のところ、僕の街に、雪が積もった大晦日は来ていない。
世界最強の男たちグリーンベレー

 

成人式のイタイ思い出
いや〜、寒いですね〜。
未だ裸足に夏用クロックスで過ごしている僕には堪えますね。
足の指先が冷たいです。それはそれは冷たいです。
この前なんて、雪の中をそれで歩いちゃってね。
それはそれは、もう。それはそれは、冷たかったですよ。
あれ?これ裸足で雪の上を歩いてるのと変わんねんじゃね?みたいな。
まぁ、気付いた時には、もう遅いんですけどね。
親孝行したい時に親はなし、とはよく言ったもんですよね。

んなわけで、昨日は成人の日でしたね。
んで、僕の地元では一昨日が成人式でした。
まぁ、けっこう、全国的にそんな感じだったみたいですね。
いや〜、めでたいな〜、とか思ってたわけですけど、
成人を向かえるのがちょうど一廻り下の年代ということに気付き、
軽く、いや、けっこう凹みました。
こりゃもう、完全におっさんだな、と。
今までは「おじさん!」って呼ばれたら「お兄さんだろ」って言ってきましたけど、
今日からは「おじさまでしょ」って言わなきゃいけないな、と思いました。
もちろん「おじさま」のトーンはクラリスっぽく言ってもらわなきゃ困りますが。
まぁ、そんなこと言われる方が困るでしょうが。

さて、凹んだついでに、成人式のイタイ思い出でも話しましょうか。
……と思ったけど、やっぱりやめときます。
あまりにも足が冷たくて、手でさすらなきゃいけないんで、
キーボードを叩くところまで手が回らないんです。
忙しいんです。こう見えて忙しいんです。
足をさすらなきゃいけないんです!!

フットウォーマー PTC-FW610


 

無くて七草
今日は七草、てことは七草粥を食べる日ですね。
記憶では、正月の暴飲暴食をで疲れた胃を休めるとかなんとかだったような気がします。
まぁ、ぶっちゃけ、僕は正月期間の大半を睡眠で過ごしてまして、普段以上に飲食してなかったんですよ。
てことは、逆に今日は暴飲暴食をすべきなんですよ、僕は。
なので、メガタマゴとメガトマトを7つずつ食べてやろうかと思ったんです。
だけど、やめました。思った瞬間、やめることにしました。
だって、そうでしょう。
世界には腹ベコでご飯を食べたいと思っていても食べられない人が、いっぱいいるんですよ。
ビスケットが給食という子達が、いっぱいいるんですよ。
発泡酒しか飲ませてもらえないビール好きのお父さんんが、いっぱいいるんですよ。
そのことを考えると、食べられません。
僕には、そんなこと、できません。えぇ、できまへんよってに。

いやね、書き始めた時は、七草でボケるぜ!、って思ってたんですよ。
ただね〜、予想以上に正月ボケがヒドくてね〜。
正月ボケって意味でボケてんだから、もう七草でボケなくてもいいんじゃね?
と、自分にスゥイートな感じの気分になっちゃったわけです。
まぁ、こんな日もありますよ。てか、こんな日だらけですよ。
本当、ヒドいもんです。

ヒドいもんと言えば、今日のづらダネ!(俗称:とくダネ!)で、おかまツインズの片割れのコメントもヒドいもんでしたね。
品川で起きた包丁少年の事件に対するコメントなんですけどね。
何か、犯行の前に100円ショップで包丁を3本買ったとか何とかでね。
それに対してね、「包丁を3本も買うなんて普通じゃないんだから、お店の人が注意しなかったのが信じられない」的なコメントをしてましてね。
何だかなぁ、って感じでしたよ。
よっぽど、お前のファッションセンスの方が信じられないよ、って感じでした。
まぁ、思いっきり余談ですけどね。
アルファベットで書くとYODANですけどね。

じゃーねー。
次はもうちょっとマシな内容を書くつもりだからねー。

センスを磨く心をみがく/ピーコ

 

究極の選択
サンタが来なくなってから、クリスマスの存在理由がわかりません。
どうも、アンチキリストバースデー同盟代表、僕です。
山下達郎を角刈りにしてやろうか〜!!

てなわけで、究極の選択って流行ったじゃないですか。
いきなり何だよ、とか思った方、ここはそういうブログです。
僕が中学生の頃だったような気がするので、もうかれこれ15年以上前でしょうか。
10回ゲームと並んでムーブメントを形成していました。
休み時間の度に、究極の選択か10回ゲームが開催されていた、と言っても過言ではないでしょう。
うん、まぁ、完全に過言だけどね。
そもそも、究極の選択と10回ゲームが流行った時期が一緒ってあたり、すでに自信がないけどね。
まぁ、今回は10回ゲームのことは微塵も書く気がないんで、どっちでも良いんだけどね。

んでね、究極の選択の代名詞的お題と言えば
 『カレー味のうんこ or うんこ味のカレー』
なわけですよ。
どっち食べる?どっち食べちゃう?ん〜、DOTCH!みたいな。
ただね、よく考えてみてください。
そもそも、これって実現不可能なお題じゃないですか。
『カレー味のうんこ』は、まだ作れそうな気はしないでもないですけど、
『うんこ味のカレー』なんて、どうあがいても作れないじゃないですか。
だって、うんこの味なんて、統一感が無さすぎですもん。
いや、食べたことないよ。僕、うんこ食べたこと、ないよ。
だけど、想像するに、人によって、食べた物によって、体調によって、
色々な要素によって『うんこの味』って変わると思うんですよね。
なもんで、どんな一流の料理人でも、どんな俺流の料理人でも、
万人が食して『うんこ味』って分かる味を表現するのは、無理だと思うんです。

こうなるとね、こうなるとですよ、『うんこ味のカレー』を選んでおくのが正解なわけです。
だってね、だってですよ、例えば、不正解の方の『カレー味のうんこ』を選んだとしますよ。

 ---あの日の教室---
 A 「カレー味のうんこorうんこ味のカレー、どっち食べる?」
 B 「ん〜、カレー味のうんこ、かな」
 A 「えっ、マジで!お前、うんこ食うの!」
 B 「いやまぁ、どっちか食えって言われたら、そっちかなぁ」
 A 「ちょ、おま、マジかよ!」
 B 「ん〜、まぁ、うんこ味のカレーよりはカレー味のうんこ、かなぁ」
 A 「よし、わかった。ちょっと待ってろよ」
 ---しばらく経過---
 A 「はい、これ。カレー味のうんこ」
 B 「えっ?」
 A 「だーかーらー、お前が食うって言った、カレー味のうんこだよ」
 B 「ん〜と、、、で、どうしろと?」
 A 「だから〜、食うって言ったんだから、食えよ」
 B 「えっ?えっ?あれは、ゲームみたいなもんでしょ。食う必要ないじゃん」
 A 「はぁ?じゃあ何、お前、嘘ついたの?」
 B 「いや、嘘とかじゃなくてさ」
 A 「嘘じゃん。さっき食うって言ったのに、食う必要ないじゃんとか言って。完全に嘘じゃん」
 B 「いやいや、おかしくない?その理屈、完全におかしいでしょ」
 A 「あのな、俺はお前が『カレー味のうんこを食う』って言ったから、一生懸命作ったわけよ」
 B 「いや、一生懸命作ったとか言われてもさ」
 A 「それを、なに。あれはゲームでした。だから嘘つきました。って、どんだけだよ!」
 B 「いや、どんだけだよ、って全然意味ワカンネ。第一、どうやって作ったんだよ」
 A 「そんなの決まってっだろ。うんこして、それにカレー粉を混ぜたよ」
 B 「いや、そんなの、カレー味じゃなくてカレー風味だろ。ほぼ、うんこだろ」
 A 「カッチーンときた。お前、嘘ついた上に、逆ギレすんの。信じらんね。マジ信じらんね!」
 B 「いやいやいやいや、逆ギレじゃないだろ」
 A 「あ〜もう、そっちがその気なら、こっちもこの気になるかんな」
 B 「何だよ、この気って」
 A 「もう、俺ら、お前のこと、イジメる」
 B 「えっ?えっ?全然、意味ワカンネんだけど」
 A 「だーかーらー、タケちゃんとかケンちゃんとか、みーんなにお前が嘘つきってのバラして、みんなでイジメる」
 B 「えっ?えっ?」
 A 「んで、お前が好きなエリちゃんにも、お前がうんこ食ったのバラす」
 B 「いや、だから、食ってねーだろ」
 A 「とにかく、イジメる。食わねーんなら、イジメる」
 B 「てか、うんこ食わす方がイジメじゃね?」
 A 「でたー!あ〜言えばじょ〜ゆ〜。はっは〜ん、さてはお前、オウムだろ!」
 B 「いや、もう何言ってかワカンネーよ」
 A 「まぁ、とりあえず、俺ら、お前のことイジメっから」
 B 「もう、好きにしろよ」

って感じになりますよね。
イジメですよ、イ・ジ・メ!
B君は『カレー味のうんこ』を選んだことで、A君達にイジメられてしまうんですよ!
もうね、これは許せない。そして、やるせない。
何でしょう、この気持ち。
何でしょう、僕の頬をつたうこの液体。
こんなに、こんなにツライ現実があって良いのでしょうか?
僕はダメだと思います。
この場をかりて、これだけは言っておきたい。
イジメ、かっこ悪い!

てね、真っ向から『カレー味のうんこ or うんこ味のカレー』を否定しちゃったお茶目な僕なわけですけど、
このお題において「それは言いっこナシだろ」ってのは重々承知してます。
んで、本当は、この辺までは前フリで、ここから本題に入ろうと思ってたってのも、ゲロってみます。
本当はね、ここから、今の僕ならどっちを選ぶか、ってのを、おもしろおかしく書く予定だったんですよ。
あーでもないこーでもない、言いながらね。
でもまぁ、A君とB君の会話を書いてたら楽しくなってきちゃってね。
結果、この始末ですよ。
いや〜、不甲斐ない。そして、面目ない。イエス、サンバディトゥナイ。

すっかり寒くなってきましたね。
みなさん、お体には気をつけて。

カレーのすべて―プロの味、プロのテクニック 世界のレシピ109種
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妥協できないこともあるんだよ
世の中って納得いかないことが多いですよね。
人生とはなぜここまで妥協の連続なのかと辟易とする、そんな毎日。
もはや、その感覚にさえ辟易としてしまい、
妥協をしていることの自覚機能すら麻痺してしまう日常。
政治や経済の世界のみならず、スポーツの世界ですら、
私利私欲が蔓延し続ける末期的時代。
そんな時代に僕に命を与えた神様を恨んだ時もありました。
それはきっと僕だけじゃなく、今という時代を生きている多くの人が
抱いたことのある感覚なのではないでしょうか。
そしておそらくは、僕を含めた多くの人が、
生きるために妥協を覚えたのだと思います。
妥協とは、理不尽な時代に生きる僕たちにとって不可欠な装備なのかもしれません。
しかし、そのことを理解していても、納得がいかず妥協もできないこともあります。
僕にとってそれは「輪ゴムリサイクル」です。
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